プリキュアにはなれない

見つけてもアナタの中だけにしまってほしい

なんちゃらっていうやつ

 

 

 

悩める女子たちは筋トレをせよ!

という投稿を見た。

 

何かポジティブになれるものが分泌されて、

自分に自信がつくみたい。

 

たしかに、ガッチリトレーニングしていた時では考えられないほどのネガティブないま。

 

筋トレするかぁ。

コントが始まる

 


わたしが頑張るからダメなのか、

頑張りかたが間違っているのか

もう何が何だかわからなくなっちゃって。

 


正直、今でも頑張るのが怖くて。

手を抜けるところは抜いてるんです。

もう頑張って傷つくのが怖くて。

 


でも、寂しいんですよね。

何かを頑張ろうとする気持ちを、

抑える日が来るなんて思ってなかったし、

頑張らなくていい方を選択したこともなかったんで。

こんなはずじゃなかったのになぁって。

 

 

 

 

里穂子さんが、全てを代わりに言ってくれていた。

消化しきれない

 

 

何も考えずに、音楽を聴くことができなくてしんどい。

よくある、その曲を聞いていた当時を思い出す、とか当時の気持ちが蘇ることってあるじゃないですか。

すごく共感できる。

ただ、それに加えてしんどいのが、

物心ついた時から、数字や音に色を感じることで、その色を頼りに解釈しているため、

自分のイメージの色でもともと記憶しているのに、そういった思い出とか感情が加わると、消化しきれなくて、一曲全部聞くことができないんです。

頭の中がぐるぐるして、気持ちが落ち込みます。

ただ、全部の曲がそういうわけではなくて、

自分にとっての勝負曲だったり、憧れの人が好きだっていってた曲、とかはまだ感覚として耐えられる。

 

でも、自分の偏見とか感情や匂いがついてしまうともう苦しくて音楽を楽しめない。

 

とっても辛いです。

 

大好きなはずの曲が頭の中でぐるんぐるんして

上手く解釈できないです。

 

音楽を聴いて落ち込む、なんてしたくないのに。

 

 

生きるの難しいな、辛いなぁ

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何になりたくて、

 

誰かにどう思われたいっていう気持ちが、自分の時間を支配していてつまらない。

心の底からの欲望に、ただ忠実にいきていけたらどれだけ楽だろうな。

 

4月から観ている刑務所のドラマが、本当にそう思わせる。

囚人たちって、自分の言葉と行動だけで、相手に信頼してもらったり、上手くいかなくて敵を作ったりする。ほんと馬鹿みたいに、人間丸出しで叫んで怒って泣いて笑ってする。

めっちゃくちゃ羨ましいって思った。

これが人間らしさっていうか、ネットを知らなかった時代の自分やんって。

もちろん今考えると不便だったかもしれへんけど、コミュニケーションはめちゃくちゃ大事にしてた気がする。自分のやりたいこと、欲に忠実で生きていた。だからこそ人とぶつかることもあったけど。

 

もしそうなら、SNSなんて極論必要ないんじゃないかと思う。インスタグラムは疲れるし、親しい友達の基準もわからないし。そこで投稿する何かって自分の記憶として残っていればそれが幸せなんやけど、見てほしいとかよく思われたいっていう気持ちが先行して、何してるんだと時々疲れちゃう。

 

昔からそう。人の良いところを見つけたりそれを伝えるのが好きなのに、自分も良く思われたい星人で。時々自分がよくわからなくなる。考えが浅いなあって思うことがある。

 

家で1人でいると、することなんて限られてる。

最近は、社会という中での仕事をしていないので

寝て起きて生きるために食べて、ネットの世界で過ごしてる。

それがたまに馬鹿みたいだなと思う。

何度もアナログな生活に戻りたいとおもう。

 

だって、スマホを持っていなかった時は

人からの反応・連絡を気にして何かに集中できないなんてことはなかった。それがとても幸せだったなと今では思う。それに加えて自分の悪いのは、相手に伝えてしまうところ。連絡をもっと返してほしい。もっと連絡がしたい、と。

 

いや、これって何のためだろうと思う。

 

きっと自分が世界と繋がっているという実感が欲しいのか、それともただ構ってほしいだけなのか。

 

連絡の催促をする自分も嫌やし、そうやって相手に依存してしまう自分が本当に嫌いだ。

 

「自立とは依存先を増やすこと」という言葉があるが、本当にそうだと思う。

 

部活や勉強、進路のこと、バイトに追われていた学生生活は人に依存しているという感覚は全くなかった。むしろ自分の時間が欲しかった。

 

つまり答えは出ている。

依存先、もしくは自分にとっての目の向ける場所を広げればいい。

 

まぁ難しいことだ。趣味という趣味がこれといってない。

手紙を書くことは好きだ。ああ、それでいいか。

 

自分の今できる範囲であしもとで、何かを始めていけばいいのか。

 

意味わからんぐらいぐちゃぐちゃな文章、なんだこれ。少し急ぎすぎている。

自分の人生に集中して生きていきたい。

 

なんてちっぽけで、贅沢すぎる悩みなんだ。

強くなりたい

確かこういう人

 

 

ふと目に止まった人のアカウントに飛んで、

 

あ〜この人懐かしいなぁと写真を見た。

 

でも、どうしても名前が思い出せなくて

 

なんだったっけな〜

いつも何かに追われてた人

とか

 

めちゃくちゃモテてたひと

 

とか、名前が全然出てこない。

 

浅いなーと笑いながら、元気でいて欲しい

とも思う。

 

 

できない事が多すぎる

 

できない事が多すぎる。

そのできなさ加減が、もう半端じゃなくて、人と比較することがうますぎる人間になった。

 

昔から勉強は苦手だし、小学校では毎日居残りをしていた。運動はほとんどできない。周りの子はとび箱がとべるのに、わたしは一段でさえもとべなかった。

 

なんかそうやって、生きていたから、人間臭さだけは染み付いているかもしれない。

 

でも、相手の気持ちや考えのベクトルを、もっと柔らかく捉える事は今でもできない。

自分が思うのと同じくらい、相手にも愛されたいと思うのに、空回りをする。

 

本当に自分の中に全く別の考えを持った人間が2人住み着いているのではないかと疑ってしまう。

コントロールができない。

 

できない事が多すぎる。

そのできなさ加減が、もう半端じゃなくて、人と比較することがうますぎる人間になってしまった。

 

 

 

“あなたのため”のキバ

人は、相手を思うあまり、その人を傷つけてしまうことがあると思う。

それが正義なら、本当に生きるのは楽なのに、と思う。

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相手のためを思った善意の言葉や行動が、

相手を苦しめていたり、むしろ相手にはキバを向けられているように感じたりすることがあるんだろうな、と最近思う。

 

相手の表情や言葉の、裏の裏?若しくは妄想をして偽の真実を試そうとする自分のスタンスが嫌でたまらない。

 

人に必要とされていたい。自分が思う温度で、相手に同じくらい愛されたい。

 

その反面、相手を信じられず疑いの目を向けて、作り固めた笑顔を向けて、時間を共に過ごしてしまう。

 

何が言いたいかというと、私は心底人間関係が苦手だ。

とか言って、逆に得意だと言うひとは居なさそうやけど。

そうやってみんな苦手だと感じる中、何とか工夫を凝らしたり自分を誤魔化したりして生きているんじゃないかな、と思う。

 

冒頭に戻る。

鬱と診断されてから、周りの人たちが本当に優しい言葉をかけてくれる。

というか、これまで忙しなく生きる中で気づかなかっただけかもしれないが。

中には、身の回りの世話までしてくれる人もいる。心からありがたい。

その中で、私のために言ってくれている言葉が、何も悪気のない言葉たちが、キバとなって心に土足でズカズカと上がり込んでくることがある。

 

前までは何とも感じなかった、いや、感じないようにできていたが、今はできない。

そのままストレートにグサグサと心を突き刺してくる。言葉に温度を感じられない事がある。

 

だからこそ人に言葉を送ることって、慎重でないといけないなと思う。

私自身これまでたくさんの人を言葉によって傷つけてきたであろうから、尚更思う。

 

その発言は、自己満足になっていないか?

所詮他人だから、と心で思っているからでてくる発言ではないのか?

と、自分に問いかける。

 

そうしていると、もう何も言葉が出てこなくなる、と言うことがよくある。

そんな風に、気持ちを封印していたら、自分でも自分の気持ちがわからなくなったりする。

 

 

人は、相手を思うあまり、その人を傷つけてしまうことがあると思う。

それが正義なら、本当に生きるのは楽なのに、と思う。

 

きっとこのまま、何も社会のしくみを知らないまま、孤独を噛み締めるんだと思う。